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読書記録

歌おう!感電するほどの喜びを!

『歌おう、感電するほどの喜びを!』
レイ・ブラッドベリ  伊藤典夫


レイ・ブラッドベリの作品に初めて触れたのは確か中学生の時だったと思う。『10月はたそがれの国』『何かが道をやってくる』を読んで陶酔状態になった記憶がある。その割に次々と作品を読破することはせず、いつのまにか淡い恋心を深められないままに手の届かないところへ行ってしまったブラッドベリネット古書店で注文したこの本が届くまで、私を不安にさせたのは、あれから40年以上経った今、ブラッドベリの作品に心震わせる感性が自分には残っていないのではないか?と言うことだった。


ブラッドベリを今の自分が一言で現すと何だろう?そんなことを思いながら本を開いたら、古びた栞が落ちた。キリンのピュアモルトウイスキー「ワンス アポン ア タイム」の広告の栞。そこに一言、「未来が、懐かしい」と書いてあった。驚いた。過去のSFの世界がどんどん現実になっている現代に読むブラッドベリは、私にとってまさしく「未来が、懐かしい」そのものだと思ったから。彼の作品の中の優しさと美しさの中にある不穏さと郷愁。それは今でも私の心の琴線を震わせた。


母親を亡くした子ども達3人とその父親のもとに完璧な「電子おばあさん」が来た。しかし兄妹のうち妹のアガサだけがおばあさんに心を開かない…。どうして?大切な人を失った家族と子守ロボットの交流を描いた「歌おう、感電するほどの喜びを!」


23歳で死んでしまった婚約者の柩を開け、墓を移すまで一晩家に置いた80歳になる老婆の話。蝋化して、若く美しいままの婚約者の姿と老いさらばえた自分の姿の差に嘆き悔しがる老婆は、一夜明けてどうなったか?「お墓の引っ越し」


作家になろうと努力し続けて、気づいたら何者にもなれず50歳になり、自分は(死んだ)チャールズ・ディケンズだと名乗る男と、少年と、図書館司書の話。「わたしたちはきちがいじみています。(略)でも、ふたりできちがいじみるのはすてきなことです」これはSFではないのかも知れないが、とても良かった。イギリス文学へのリスペクトがあちこちに散りばめられている「ニコラス・ニックルビーの友は我が友」


母親と二人暮らしで、大人になれず、かと言って子供のままでもいられない怪力の三十男とその母親の平坦な、しかし危うい日常を描く「大力」


突然引退して行方不明になった天才精神科医のその後を書いた「ロールシャッハのシャツを着た男」


その他「ヘンリー九世」「火星の失われた都」「救世主アポロ」の全8編収録。解説萩尾望都f:id:aromatomoko:20190713225537j:image