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読書記録

ザリガニの鳴くところ

『ザリガニの鳴くところ』
          ディーリア・オーエンズ 著
         友廣純 訳


素晴らしかった。美しい表紙と、珍しいタイトルに惹かれて購入した本書は、今まで読んだことのあるどんな小説とも違っていた。


酒に溺れ、暴力的な父親が支配する貧しい湿地の暮らしを逃れ、兄も姉も、最愛の母も居なくなり、6歳のカイアは父親と2人で取り残される。その父も10歳になった頃にはカイアを置いて帰って来なかった。


ホワイトラッシュ(貧乏白人)と蔑視される湿地の住人の子どもとして村の人々に侮辱されるカイアは、たった一日しか学校に行かず、一人きりで自然を母として聡明で美しい女性として成長して行く。数少ない彼女の味方と理解者の手助けによって。


しかし、村の青年の死体が湿地で発見された時、「湿地の少女」と呼ばれ続けてきたカイアに殺人容疑がかかる…。
……………………………………


毎晩、この本を一章か二章づつ味わうように読んだ。


多くの小説は「この先どうなるのだろう」との思いに駆り立てられて読む。が、この本は、「カイアは今どんな状況に置かれているのか。どうやって生き抜いたのか」それを少しずつ反芻しながら読んで眠りについた。


カイアが生きた環境と、沢山の生き物、濃い緑に包まれた湿地の小屋、空や海の色、音、匂い、わずかな他の人間との関わりをひたすら思い浮かべてそこに自分の意識を置いた。


これは、周囲に何の手掛かりも残されていない奇妙な死体をめぐるミステリーであり、海と湿地の自然誌のようでもあり、極限状況に一人置き去りにされた幼い少女の成長の記録でもある。また、様々な偏見が渦巻く人間社会の問題を反映させ、法廷劇まで盛り込まれている。


カイアの野生動物や昆虫達の生の営みへの理解、湿地の自然への愛。彼女の持つ、自然の驚異に対する鋭い感受性=「センス・オブ・ワンダー」が彼女を生かしたのだと私には感じられた。


毎日少しづつ読むと言うことは、次に読むまでの間、カイアの置かれた環境や、この先の出来事、ミステリーの結末を自分なりにゆっくりと考える時間があるとも言える。そして、その予想が当たろうと外れようと深い味わいは変わらなかった。


珍しい野鳥の羽。変わった色や形の貝殻。水草。シダ。古ぼけたボート。波に洗われる砂。掘り起こされる牡蠣貝。ハクガンの群れ。カモメたち、シラサギ、ゴイサギ。暗闇の先に舞い飛ぶ何百と言う蛍…。沈む夕日に染まる水面。


それら、息を飲むような豊かな湿地の自然に包まれて生きるカイア。長じて、美しく聡明な自然科学者キャサリン・ダニエル・クラークとして世間に認められたカイアの本質は、しかし、湿地の自然の申し子として最後まで「湿地の少女」だったのだと読み終わって強く思った。


社会からはじき出され、人間の集団から離れて自然の中で生きたカイアの物語は、普段忘れている自然の中でありのままの姿で生きる野生生物の本質と、人間も突き詰めればその一種類に過ぎないことを私に思い起こさせた。


著者はジョージア州出身の動物学者。ボツワナカラハリ砂漠でフィールドワークを行い、その時に著したノンフィクションは世界的ベストセラーになり、優れたネイチャーライティングに贈られるジョン・バロウズ賞を受賞している。その他ネイチャー誌などの多くの学術雑誌に研究論文が掲載されており、現在アイダホ州に住み、グリズリーやオオカミの保護、湿地の保全活動を行っている。


長年の研究、フィールドワーク、実際の活動の積み重ねがこの作品を生み出したこと、そしてその果実を味わう恩恵に浴することができた幸せをしみじみと感じさせる本だった。


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