晴読雨読

読書記録

秘密 上下

『秘密 上・下』 ケイト・モートン
                          青木純子 訳  東京創元社


久々に読み応え満点のミステリーだった。


1961年の夏。イングランドはサフォークの田園地帯。《グリーンエイカーズ》と呼ばれる農家で暮らす絵に描いたように幸せな家族。その家族の16歳になる長女ローレルは、ピクニック中に妹たちとの鬼ごっこに付き合うのに飽きてツリーハウスに隠れて物思いに耽っていた。ぼんやりと家の方をツリーハウスから眺めていたローレルは、母が突然庭に現れた男をケーキナイフで刺し殺す場面を目撃する。ショックで気を失うローレル。その時からローレルはただ一人、誰にも語らない秘密を抱えたまま大人になり、今や国民的女優となっていた。


彼女の抱えていた秘密。それはあの時、見知らぬ男が母に向かって「やあ、ドロシー。久しぶり」と言うのを聞いたこと。そう、男は母ドロシーを知っていたのだ。しかし、事件後に警察の事情聴取を受けた時、ローレルはそのことを話さなかった。そして、家族のピクニックから2歳の息子を連れて家にケーキナイフを取りに来た母を、その頃世間を騒がせていたピクニック荒らしが襲ったことになり、事件は正当防衛として処理された。


2011年現在。90歳になる母ドロシーの死期が近づき、妹たちと共に故郷を訪れたローレルは、あの事件の真相を知りたいと強く思い始める。あの男は一体誰だったのか?何故母はためらいもなく男を刺し殺したのか?
母が大切にしていた本に挟まっていた一枚の写真には、若き日の母ともう一人の美しい女性が写っていた。それを妹から見せられたローレルは、いままで全く知らなかった母の過去を知りたいと強烈に思う。愛に溢れ、明るく快活な素晴らしい母のあの日の異常な行動。母の過去に何があったのか?たとえそれがどんなものであっても、それを知るためにローレルは全力で動き出す。


物語は2011年のロンドンとサフォークの《グリーンエイカーズ》、1961年の《グリーンエイカーズ》、1941年の第二次世界大戦中のロンドンを行き来する。


母ドロシーは1941年には戦争で家族全員を失い、ロンドンのお屋敷で住み込みのメイドをしていた。向かいの家には有名な作家と美しい妻が住んでおり、雇い主や向かいの家の住人は所謂上流階級に属する人々だった。この第二次大戦中のロンドンの出来事が娘時代のドロシーの体験を中心に詳細に綴られ、一方で母の過去を掘り起こすために当時2歳だった弟(現在は天才的な天文学の研究者となっている)と様々な資料を虱潰しに調べて行くローレル側からのドロシーの戦時下の人間関係が交錯して行く。


3つの時代に散りばめられた沢山の伏線。登場人物の性格、生い立ち、過去。
謎解きだけではない、当時の人々の暮らしや心理、多面的な人間の姿が万華鏡のように映し出され、それが大戦中の生々しい描写と現代に残された記録や手がかりに挟まれて、次第に焦点が絞られて行く過程は見事としか言いようが無い。


ローレルの目線で謎を追いながら、戦時下のロンドンを生きるドロシーをやきもきしながら見守り、先が早く知りたくて焦れるほどだが、ミステリーに慣れた人なら、いくつかの謎の答えは解ける前に予想がつくかも知れない。実際私も読んでいてやっぱり!と思うことがいくつもあったが、それでも全く失望するどころか夢中で読み進めたのは、作り込まれたディティールの見事さとイギリス文学独特の雰囲気がたっぷり味わえたからだと思う。詳しく書けないのが苦しいが、「秘密」とはローレルが秘めていたものだけではなく、外側からは推し量れない秘密を誰しもが持っており、人間の表出しない秘密が重なり合って化学変化を起こした時に何が起こるかを暗示しているようにも思えた。


そして、一旦大きな謎が解けた後も、細かい伏線がしっかりと、しかも美しく回収されてこれ以上ないラストへ繋がった時、この作家の別の作品『忘れられた花園』も必ず読もうと決心した。ずっと読みたくて手をこまねいていたこの本、こちらでの詳しいご投稿で矢も盾もたまらず手をつけた。ご紹介、感謝!f:id:aromatomoko:20190707134041j:image