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読書記録

仮釈放

仮釈放 (新潮文庫)

『仮釈放』 吉村昭 新潮社


不倫した妻を殺害、相手を刺傷、その老母を図らずも焼死させた男。彼は無期懲役の判決を受け、独房で15年余りの歳月を過ごして来た。無期刑囚にも仮釈放がある事を知ってからはそれに望みを託して模範囚として長年努め、もうすぐ50歳になる。その男にとうとう仮釈放の日が訪れる。しかし、元高校教師をしていた彼は真面目で大人しい人物ではあったが、犯した罪を認めてはいても内心ではその行いを必然であったと確信し、心から悔いてはいなかった…。 


長い刑務所暮らしが身体にしみ込んだ男が仮釈放で娑婆に出て行く時、解放感や喜びよりも強烈な怯えや心細さに襲われ、社会に馴染むまでの心もとないさまを精緻な描写によって淡々と描く。その文章に引き込まれ、まるで浦島太郎の様に出所後の外の世界を眺める男の心情に寄り添っていくのを感じた。


彼がどんな状況で罪を犯したかは、中盤に差し掛かるまで明らかにされない。その時の心理状態、犯した罪に彼が心の中でどう向き合い、今も被害者にどんな思いを抱いているかは周囲の人間にはわからない。彼の心の底に沈む澱のようなもの、心情を吐露できる相手がいれば何か違っていたのだろうか?例えそれが同じ犯罪者であったとしても。


心温かく彼に寄り添い、その人生に配慮する保護観察官や、彼の過去を承知で雇い入れた養鶏場の社長。男は彼らに見守られながら、仕事やアパート暮らしにも次第に慣れ、侘しい一人暮らしの部屋でメダカを飼い始める心のゆとりも見せる。保護観察官はそんな彼の姿を喜び、彼に妻帯を勧める。彼の過去を全て知りながら一緒になる事を望む女との生活は慎ましいながらも幸せに回り始めるかに思われたのだが…。


何ともやり切れない衝撃のラストに、仮釈放とは、更正とは、罪と罰とは何なのか。上辺からは確認出来ない悔悛の情、犯罪が起きる要因や背景、他人のお節介や良かれと思ってしたことの引き起こした結末、人間心理の正常と異常の境目について、つくづくと考えさせられた。読み終わって、フェルデナンド・フォン・シーラッハの『犯罪』が思い起こされた。読後言葉を失う、忘れ得ぬ一冊。