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あふれでたのはやさしさだった

えでたのは

あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室

『あふれでたのはやさしさだった

奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』

寮 美千子 西日本出版

 

童話作家の著者が、奈良少年刑務所で「社会性涵養プログラム」の講師を務めた10年近くの経験を書いたもの。著者が担当したのは絵本を使った朗読や簡単な朗読劇、詩の作成と感想を述べ合う授業。

 

対象となるのは実習場でも孤立しがちな、コミュニケーションが取りにくい少年たち。「落ちこぼれてしまった人たちのくる刑務所の中で、さらに一段と落ちこぼれてしまうトラブルメーカーでしょうか?」と著者が教育統括に質問したように、「選り抜きの難しい子」を対象としたプログラムである。

 

少年刑務所は少年院と違い、17歳から25才までの重い犯罪を犯した者が服役している場所。教育者でもない童話作家の著者は、窃盗犯、殺人犯、レイプ犯と向き合っての授業に不安を覚え、デザイナーの夫と共に出席することを願い出てそのプログラムへ協力することを受け入れる。

 

そんな著者に「わたしは、分断化された社会の上澄みで、きれいな水だけを飲んで、のうのうと過ごしてきたに違いない」と言わしめるほど彼らの生きてきた背景は想像を絶するほど過酷だった。しかし、授業を通して、友から優しい言葉を浴びて、全く無表情だった少年が微笑み、激しいチック症状がピタッと止まり、吃音が消え、ならず者の様な子が姿勢を正し、引っ込み思案の子が手を挙げる。硬く不器用な鎧を纏った彼らの奇跡の様な変化の様子は涙無くしては読めなかった。

 

計186名、一人として変わらぬ子はなく、心を開くとやさしさがあふれ出て、何故ここに彼らはいるのか?と著者は思う。加害者になる前に彼らは被害者であり、適切な支援を受けられないままにここまで来てしまったことが、ほんの一行の詩や、頑なに押し黙っていた口からこぼれ出る言葉に痛いほど感じられた。表現すること、それが他者に受け入れられること。人間味溢れる熟練した教官達、熱意のかたまりの統括、先生夫妻に見守られてプログラムを受ける仲間たち。言葉の力だけではない「場と座」の力。これは少年刑務所ではなくとも通じる非常に深い情操教育の根幹に触れるルポルタージュでもあると思った。

 

そもそも、奈良に越してきた近代建築好きの夫婦が、この明治四十一年に竣工された美しい赤煉瓦の奈良少年刑務所の建築に惹かれて見学に行ったのがこの少年刑務所との縁だったと言うから人生はわからない。また、講師を始めた時からこの建築物の保存を強く願って活動して来られた著者の働きがこの建物の保存に非常に大きな影響を及ぼしたことを知り、教育というソフトの面でも、建築物保存のハードの面でも深く奈良少年刑務所の環境を理解していた著者の記録は貴重だと感じた。

 

「社会性涵養プログラム」の10年を通して、人間への信頼を深く呼び覚まされ、生まれた時からの悪人などいない、刑務所の中にいるのはモンスターではない、人は変われる…人間の根本はやさしい。そう心から信じられる様になった著者。それはこのプログラムに選抜された特に感受性が強かったり、発達障害を抱えていたり、場面緘黙の少年たちとのみ関わったからかも知れない。しかし、一番弱く虐げられた立場の子たちが劇的に変化することで、実習場の雰囲気も良くなり、毎回確かな変化があったことはまぎれもない事実だ。

 

関連書『空が青いから白を選んだのです 奈良少年刑務所詩集』も読んでみたいと思った。「奇跡の」とか「涙無くして読めない」という言葉は、この様な本のために大切にとっておきたいなあ…としみじみと思わずにはいられなかった。