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読書記録

歩道橋の魔術師

『歩道橋の魔術師』呉明益 天野健太郎
                          白水社 エクス・リブリス


1961年から1992年にかけて、台北に実在した大型商業施設「中華商場」を舞台に、そこで暮らす子供達の日常を描き出す連作短編集。


当時の台湾は経済成長期の最中で、鉄筋コンクリート造りの三階建ての建物が八棟も並ぶ中華商場は、上の階が住居になっているところが多く、職住一致の子供達の家庭の様子は日本の昭和の高度成長期を彷彿とさせる。


中華商場には、各棟や他の商業施設、劇場などにも行き来できるように繋がった歩道橋があり、それは人々の猥雑で濃密な地域社会を形成する連絡網の様なものでもあった。露天商も多かった歩道橋を渡って、子供達は互いの家を行き来し、それぞれに家業の手伝いをしたり、遊んだり、時には親に叱られたり殴られたりしながら、悩んだり、恋をしたり、身近な人の死に直面したりする。その思い出話は、まるでそこに自分も居合わせたことがあるのではないかと錯覚するほどリアリティがあるのだが、それぞれの忘れられない出来事は、全てではないが、当時子供達が夢中になっていた歩道橋の魔術師の記憶と繋がっている。


黒い紙で作られた踊る小人、神隠しに遭って3ヶ月行方不明になった友人、夢に現れた石獅子と親戚の火事、紙の絵から取り出された透明な白い金魚、双子の兄が魔術師に一瞬消されてノートの中にいた事、消えた仕立て屋の猫、夜空に輝くネオン管から立ち昇る色のついた光…。あり得ないことが目の前で起こった時、それはただの記憶では無く、一生忘れられない物語として深く心に刻まれるのだろうか。


喧騒と、匂いまでがリアルに感じられる9つの物語は、「ときに、死ぬまで覚えていることは、目で見たことじゃないからだよ」と言う魔術師の言葉をそのまま証明しているかの様に、平凡な繰り返しの日常のすぐそばに、非日常的な事がぽっかり口を開けている不安を残して終わる。


物語は、語り手の一人でもある小説家の「僕」が、かつての幼馴染に再会した時、自分たちが子供だった1980年代の中華商場の思い出を語ってもらう形で進むが、作家も語り手たちもすでに2010年代の今を生きる中年になっており、切り取られた思い出は鮮明だが、乾いた寂寥感を漂わせている。


台湾独特の食べ物や風習に、これは異国の物語であると確かに感じる。それなのに、感情を抑えた透明で静かな文章の描き出す中華商場の情景は、不思議と自分の過ごした昭和の幼少期の記憶に触れてくる。リアリティとノスタルジーと魔術に魅入られる様な短編集。


著者の呉明益氏は、台湾で今最も高評価を受けている小説家・エッセイスト。1971年台北生まれ。
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