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読書記録

6時27分発の電車に乗って僕は本を読む

『6時27分発の電車に乗って僕は本を読む』
ジャン=ポール・ディディエローラ
   夏目大  訳  


36歳のギレン・ヴィニョールは、この名前のために子供の頃から散々な思いをしてきた。何故なら、頭の文字を入れ替えると「ヴィレン・ギニョール」(醜い人形)になるからである。彼は、あだ名で呼ばれて馬鹿にされない様に背景に溶け込み、人目につかない様に極力努力し、自分の存在を否定して気配を消して来た。


ところが、そんな彼が早朝の通勤電車の中で毎日必ず朗読をする。しかも朗読するのは彼の勤務している断裁工場の機械が処理し損ねたバラバラの本のページ。息をひそめるようにして目立たずに生きてきた人がこんな奇矯な行動を取るのはおかしくないか?ギレンの自己認識と行動の矛盾について行けず、読むスピードがぐっと落ちる…。


その後も廃品処分とリサイクルを専門とする会社の劣悪な環境、嫌な上司、全く価値観が合わない若い同僚へのギレンの嫌悪感と愚痴が続く。そして大量に返本された出版物、廃棄本が怪物の様な断裁機に飲み込まれ、砕かれ、ドロドロのパルプ原料として排泄物の様に吐き出される光景が生々しく描写される。職場は本好きの彼にとって地獄なのだ。
吐き気がするほど嫌な仕事。退屈な人生。


彼の友人は元同僚のジュゼッペと、詩と古典演劇をこよなく愛する守衛のイヴォンと、家で飼っている金魚のルジェ・ド・リールだけ。断裁機の牙から逃れた本のページを救出し、電車のなかでそっと取り出して読むことで、本の虐殺業務で磨り減ったギレンの心が解放され、彼の朗読を聞く人々が満足そうな顔なのは良いけれど、この灰色がかった情けない気分の退屈な話がこのまま続くのか?変人ばかりが登場するこの物語、最後まで読み通せるだろうか・・・?


三分の一ほど読んで不安になっていたら、ある日いきなり電車の中で二人の上品な老婦人が近づいてきて、ギレンに家まで来て朗読して欲しいと願い出る。これは面白くなってきた、と思っていたら、今度はギレンの定位置の電車の収納式座席に赤いUSBが落ちていた…。そのあとは夢中になって一気読み。


このUSBの中に入っていた見知らぬ人の日記が素晴らしく面白い。そして、たった1ページの紙切れでも,ほんの短い詩の言葉でも、USBの中に書き留められた日記でも、それらがたとえ一冊の本の形になっていなくても、そこに人生が、ユーモアが、物語が書きつけられていたなら、それを読み、朗読することでこんなにも豊かな世界が紡ぎ出されるのだと気づく。


そして陰気な灰色の世界に色が付き、世界が輝きだす。控えめで、静かで、つつましい人生がこの上なく素晴らしいと感じられる。
読了後、世界が読む前とは違って感じる本にf:id:aromatomoko:20190531220131j:imageたまに出合うが、これもそんな一冊だった。