晴読雨読

読書記録

事件

『事件』大岡昇平    創元推理文庫


1961年の夏、刺殺体が神奈川県の山林で発見される。被害者は地元出身で、飲食店を経営する若い女性。翌日、19歳の自動車工場勤務の少年が殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕された。少年は殺人の罪状を認めており、自白もあった。


検事は特に複雑な事件ではないと考えていた。弁護人は少年の殺意に疑問を持った。主任判事は、この事件にいつになく興味を抱く妻の意見に世間への常に無い影響を漠然と感じていた。単純に思われた殺人事件だったが、証人が喚問され、公判が進むにつれて意外な事実が明らかになって行く…。


東京隣接地区が変貌し始めた1960年代初頭の雰囲気を色濃く映し出しながら、実際の事件の公判を傍聴しているかのような錯覚に陥る描写力に圧倒される。


解説に、新聞連載当初は単純な未成年犯罪とその断罪を主題としていたのが、途中から日本の裁判の実状があまりにも裁判小説や裁判批判に書かれているものとは異なっていることに驚き、その実状を伝えたいと思うに至った、と著者が書いている通り、法律用語、裁判の手順、戦前戦後の法曹界の推移、外国と日本の裁判制度の違いなどが詳しく書かれている。


法律の入門書を読んでいるかの様な記述にかなり怯んだにもかかわらず、そこに記述されている資料、裁判の決まりごとなどが、公判の流れに関わってくると知ると、検事と弁護人の攻防、判事の心象や発言にいつのまにか熱中してやめられなくなっている自分に驚いた。


とりわけ、著者が裁判官、検察官、弁護人、被告人、証人、被害者やその家族の誰かに特別に肩入れすることなく、主観を廃して丁寧に法律を調べ、裁判手続きが理想的に行われる場合を想定してこれを書いている事に、心を動かされた。


どんなにありふれた事件であっても、そこに関わってしまった人々にとって、それは恐怖であり、悲劇である。裁判や判決は法学の授業や議論ではなく判事の重い「実務」であり、人間が行う裁判がどこまで真実に迫れるのか?と言う問いかけが作品の根底にあると感じた。


そして、真相の追求、真実は何処に?などとと大上段に構えがちな自分の稚気を恥じたくなる様なラストの持って行き方が見事。この作品を読んで、裁判とは最後は法的落とし所を決めるものなのだ、と初めて納得させられた気がする。


巻頭に宮部みゆきさんのエッセイが特別収録されており、それによると宮部さんはこの本がきっかけでOLから法律事務所に転職して6年勤められたそうである。そして、この本は「今こそ、もっともっと広く、多くの人々に読み返されるべき傑作です」と書いておられる。(2009年)


昭和18年に中止になった陪審員制度の事も本書の中で触れられているが、裁判員制度が施行されている現代を生きる私達も、いつ裁く側に回るか、または証人として召喚されるかも知れない…。そう思うと、野次馬的興味でリーガルドラマを見たり、犯罪小説を読むのとは全く違う重みをこの本に感じた。f:id:aromatomoko:20190606223906j:image